jirikihongan-kaiun blog

国家公務員総合職・外務省専門職受験へのハードルを 少しでも下げたり、英語 や 多言語化に取り組みたい人へ大きな助けになるブログを目指します。

【外務専門職】英文和訳(日本と中国)

山形で撮影した最上義光(よしあき)さんの銅像です。外交・内政・武力も全てバランスの取れた武将の一人です。北楯大堤を作ることで 庄内平野での米生産量を大幅に増大させるなど 山形発展の基礎を作られた人物です。

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銅像のあった山形城も巨大なお城でした。両脇の櫓は、上田城を思わせます。ただ、最上氏52万石以降は  頻繁に城主が入れ替わり 10万石以下の飛び地での領主だったために安定した政治が行なえず、山形城の維持もままならなかったようです。結局、最上家も最上騒動と言うお家騒動。九州人吉城も相良氏のお家騒動。身内の争いほど 激しくなるものなんですね。相良清兵衛事件は、人吉に行った時の衝撃でした。

Wikipedia 引用

相良清兵衛事件(お下の乱)
お下の乱 / 御下の乱(おしものらん[2])は、別名、相良清兵衛事件あるいは田代半兵衛の反とも呼ばれる。2代藩主頼寛は寛永17年(1640年)重臣であり次第に権力を増幅していった相良清兵衛頼兄(犬童頼兄)の専横を、幕府に対し訴え裁可を仰いだ。頼兄は江戸へ召還され小田原藩仮預かりとなった。この間に江戸屋敷より国許への使者として神瀬外記、深水惣左衛門が遣わされた。使いの内容は、頼兄の養子(義子)である田代半兵衛頼昌(犬童半兵衛とも)を引き続き藩士として取り立てる、というものであった。しかし、半兵衛は既に頼兄の処分を知っており、「お下屋敷」と呼ばれる頼兄の屋敷に呼ばれた外記と惣左衛門は半兵衛らに襲われる。惣左衛門は無事に逃げのびるも、外記は捕えられ全ての指を切られた上で殺害された。そして頼兄の一族はお下屋敷に立て籠もり、藩兵がこれを取り囲み戦闘となった。結局、頼兄の一族全員が討ち死に又は自害により121名が死亡した。これがお下の乱と呼ばれる事件である。
頼兄は幕府の裁定により遠流(津軽藩預かり)となり、弘前で明暦元年(1655年)に88歳で客死している。

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問い)

Sino-Japanese relationship has been obsessed with some ambivalence: belligerency and friendship, economic friction and interlocked trading relation, Sino centrism and Confucian blood lineage, Sinophobe and Sinophile. China is now on the homestretch toward an economic superpower with enhanced quality in labor forces. It keeps prosperous light industry such as textile and apparel production, while continuing to invest in heavy industry such as automobile and ship-building.
On the other hand, Japan is dependent on food import from China with low self-sufficiency rate for food. Japan seems more vulnerable to China these days. Japan and China have been connected with each other through economic and cultural exchange in the history of tributary system. They share Chinese character, Buddhism and philosophical tradition, which should be respected so that Japan can show its progressive leadership in East Asia as Asian country. However, Japan also has to decrease its national risk, especially in the field of natural resources by diversifying trade partners. Considering China’s military expansion and emerging hegemony, Japan is expected to play a role of counterbalance with foresighted and flexible policies.


 日中関係には、常に何かしらの矛盾がある。交戦と友好、経済摩擦と貿易上の相互依存、中華思想儒教の締帯、反中派と親中派などである。中国は今や、質の向上した労働力にも恵まれ、経済大国というゴールに向かいラストスパート中である。中国では、自動車や造船などの重工業にも投資をつぎ込んでいる一方で、繊維や服飾製造など軽工業での活況が続いている。
 一方、日本は中国からの食物輸入に依存し、食糧自給率は低いままである。今日、日本は中国に対してより脆弱になっている。日本と中国は、朝貢貿易の歴史を通して経済ならびに文化の交流で結び付いてきた。両国は、漢字や仏教や哲学的伝統を共有しているが、これらは日本がアジアの国家として東アジアにおいて前進的な指導性を発揮するために大切にされるべきである。しかしまた同時に、日本は貿易相手国の多様化を図るなどして、とりわけ天然資源の領域では国家のリスクを軽減しなくてはならない。中国の軍事拡大や高まる覇権を考慮すれば、日本には先見性と柔軟性を兼ね備えた政策により、中国のバランサーとして役割を果たすことが求められている。