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jirikihongan-kaiun blog

国家公務員総合職・外務省専門職受験へのハードルを 少しでも下げたり、英語 や 多言語化に取り組みたい人へ大きな助けになるブログを目指します。

【国家総合職・外務専門職】国際法:武力行使と武力攻撃の違い

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近頃の日本では、避けては通れない自衛権についてです。人は、自分の都合が悪いことについて、目を背けてしまいがちですが、東アジア地域も客観的に見て不安定な状況にあります。米韓日の連携が取れていなかったり、韓国では、朴槿恵大統領が韓国憲法裁判所による弾劾裁判で3/10即日で罷免される事態になりました。北朝鮮では、真相は不明ですが、中国・韓国の外交のパイプ役であった金正男氏がマレーシアで暗殺されてしまいました。今後、中国の動きも注視すべきですが、フィリピンのスカボロー礁と同様の手法で尖閣諸島について実効支配を目論んでいるような動きに見えます。そのような中、いま一度、集団的自衛権について考えてみようと思い、今回この話題をアップしました。

 

問い)

武力行使と武力攻撃の概念上の相違、および武力行使と武力攻撃のそれぞれの犠牲国が国際法上合法的にとりうる措置について、具体的な事例に言及しつつ論じなさい。

論点)
 (1) 自衛権の文脈で語られる「武力行使(use of force)」 と 「武力攻撃(armed attack)」について  
 (2)「武力行使(use of force)」と「武力攻撃(armed attack)」の概念上の相違

 (3)犠牲国のとりうる合法的な措置として、「武力攻撃」の場合には個別的自衛権、武力攻撃に至らない程度の武力行使の場合には「均衡のとれた対抗措置」

 (4)判例:1986年 ニカラグア事件本案判決

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Wikipedia  :  ニカラグア事件

ニカラグア事件(ニカラグアじけん、英語:Nicaragua Case、フランス語:Affaire Nicaragua)[注 1]は、ニカラグアに対する軍事行動などの違法性を主張し、1984年4月9日にニカラグアが違法性の宣言や損害賠償などを求め、国際司法裁判所(ICJ)にアメリカを提訴した国際紛争である。1986年6月27日に本案判決が下されICJはアメリカの行動の違法性を認定したが、結局アメリカの賠償がないままニカラグアの請求取り下げを受けてICJは1991年9月26日に裁判終了を宣言した。

国家間の武力紛争の合法性が裁判の場で争われることは稀であり、中でも本件のICJ判決は国際法上の集団的自衛権行使のための要件や武力行使禁止原則の内容について初めて本格的な判断がなされたリーディングケースといえる判例である。しかしニカラグアへの損害賠償などを命じたICJの判決をアメリカは履行せず、その上判決履行を求めてニカラグア安保理に提訴するも再度アメリカの拒否権行使によって否決されたなど、本件でICJは裁判所として紛争解決の機能を果たすことができなかったとする批判もある[10]。

裁判の大まかな流れ
1984年 4月4日 ニカラグア安保理に決議案を提出し、アメリカの拒否権行使により決議案否決
4月9日 ニカラグアがアメリカをICJに提訴
5月10日 仮保全措置命令
11月26日 先決的判決
1985年 1月18日 アメリカが出廷拒否を宣言
1986年 6月27日 本案判決
7月31日 アメリカが拒否権行使により判決履行を求める安保理決議案を否決(1回目)
10月28日 アメリカが拒否権行使により判決履行を求める安保理決議案を否決(2回目)
11月3日 国連総会の判決履行勧告決議(1回目)
1987年 9月7日 ニカラグアが賠償額算定をICJに申し立てる
11月11日 国連総会の判決履行勧告決議(2回目)
1988年 12月9日 国連総会の判決履行勧告決議(3回目)
1989年 12月9日 国連総会の判決履行勧告決議(4回目)
1991年 9月12日 ニカラグアが請求取り下げをICJに通告
9月26日 裁判終了命令

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Wikipedia  : スカボロー礁

スカボロー礁(英語: Scarborough Shoal, Scarborough Reef、フィリピン名:Bajo de Masinloc、Kulumpol ng Panatag、Karburo、中国語: 黄岩岛、民主礁)は、南シナ海にある環礁。スカボロ礁、スカーボロ礁、スカバラ礁とも呼ばれる。18世紀にこの地点で難破した茶貿易船「Scarborough号」にちなんだ名前である。

2012年から中華人民共和国が実効支配しており、中国以外にフィリピン・中華民国(台湾)が主権 (領有)を主張している。中国ではスカボロー礁を含む島礁群を「中沙諸島」と呼んでいる。スカボロー礁は「中沙諸島」の中で満潮時にも海面から露出する唯一の岩礁である。
目次 [非表示]
1 地理
2 名称
3 主権争い
3.1 フィリピンの主張
3.2 中華民国(台湾)・中華人民共和国の主張
3.3 主権争いの経過
3.4 仲裁裁判所による裁定
3.5 仲裁裁定後の動向
4 脚注
地理
スカボロー礁は、フィリピンのルソン島の西約230キロメートルにあり、フィリピンの排他的経済水域 (EEZ) 内に位置する。水深3,500メートルの海盆上にあり、海底の山が水面に露出した部分にある環礁である。周囲55キロメートルの三角形の環礁で、最高点は標高約3メートルの岩礁である。地質構造上でみると大陸棚の自然延長にある。礁湖の面積が130 km2。礁湖には南東部に外海と繋がる水路があり、小型中型の船が礁湖で漁業活動を行なったり、風を避けることができる。
名称[編集]
1935年に中華民国外交部が発行した南シナ海の島礁名の一覧では、スカボロー礁は英語名である "Scarborough Shoal" に相当する名称とされ、南沙諸島スプラトリー諸島)にグループ分けされていたが、1947年に「民主礁」と名付けられ、「中沙諸島」の一部とされた。1983年には中国が「黄岩岛」を標準名称としている。中国以外の学者からは、この岩礁を「中沙諸島」に含めることに対して地理学的にも疑義が呈されている。
Googleは、Google マップ英語版でこの岩礁中沙諸島三沙市に属すること示す "Zhongsha Island, Sansha" の表示を付していたが、フィリピン市民からの抗議を受け、2015年7月14日にこの表示を削除している。
主権争い[編集]
フィリピンの主張[編集]
スカボロー礁は遅くとも16世紀には、すでにその付近海域はフィリピンの漁民の漁場だった。
スペインがフィリピン諸島をアメリカに割譲した1898年のパリ条約、1900年のワシントン条約(英語版)、1930年の英米条約(英語版)では、東経118度をフィリピンの西限としており、スカボロー礁はこの範囲の外側にある。また1935年の旧「フィリピン共和国憲法」および1961年の「領海基線法」にも同様の規定がある。 しかし、フィリピン外務省は、スカボロー礁は「島」ではなく「岩」であって、これらの条約等の対象とされていないと主張している。そして、フィリピン外務省は、パルマス島事件を代表とする常設仲裁裁判所での国際公法上の判例を踏まえると、領有権は歴史的な主張や領有ではなく、管轄権の有効な行使 (effective exercise of jurisdiction) に基づいて判断されるべきであるとしている。なお2009年の「領海基線法」により、南沙諸島の一部の島・礁(太平島を含む)、スカボロー礁を正式かつ法的に自国の領土と規定している。
中華民国(台湾)・中華人民共和国の主張[編集]
スカボロー礁は中国人に最も早く発見された。その付近海域も海南島の漁民の古くからの漁場だった。1279年、著名な天文学者郭守敬が「四海測験」を行なった時、南シナ海ではこの島を測量地点としている。1935年1月、中華民国水陸地図審査委員会はスカボロー礁中華民国の版図へ入れた。1947年末、中華民国内政部の正式に編纂出版した『南海諸島位置図』で(「民主礁」と呼んでいた)スカボロー礁を「断続国界線」内へ入れた。この線を法的効力のある歴史的境界線として、中華民国は線内の島、礁、浅瀬、砂州の主権を主張した。
1983年、中華人民共和国地名委員会は、「我国南海諸島部分標准地名」を公布して「黄岩岛」を標準名称とした。
主権争いの経過[編集]
1980年以後、フィリピン政府はスカボロー礁を200海里排他的経済水域内とした。
1997年、フィリピンが軍艦と軍用機を出動して中華民国の民間組織のラジオ局による領海侵犯を追跡、監視する。
1997年4月30日、フィリピンの2人の衆議院議員が軍艦に乗って上陸、旗と碑を立てる。
1998年1月から、中国海南省の4艘の漁船が2か月間に領海侵犯してフィリピン海軍に拿捕され、51名の漁民がフィリピンに半年間拘禁される。
1999年5月23日、フィリピン軍と中国の漁船が衝突。中国外交部スポークスマンはフィリピンへ抗議し、交渉を呼びかけた。
1999年6月、フィリピン教育部は新しい地図の中で、スカボロー礁南沙諸島を版図へ入れた。8月、フィリピン政府は「南沙諸島はフィリピン領土」である旨の憲法改正を行った[要出典]。
1999年11月3日、フィリピン海軍の1艘の艦船がスカボロー礁のパトロール中に座礁。フィリピンは艦船は救援参加時に故障が発生したと発表。中国は座礁した艦船の撤去を求め、フィリピン側はすぐに撤去した。
2000年、フィリピン海軍が領海侵犯した中国の漁船船長を射殺した。
2012年4月8日、フィリピン海軍がスカボロー礁近くに中国の漁船8隻が停泊しているのを発見し拿捕したのを受け、中国監視船が現場に急行、フィリピン海軍の進行を阻止し、睨み合う状況となる、いわゆる「スカボロー礁事件(中国名: 黄岩島事件)」と呼ばれる事態が発生する。17日にフィリピンのデル・ロサリオ外相は国際海洋裁判所に判断を仰ぐ提案をしたが、中国外交部辺海局の鄧中華局長はこれに対し抗議を申し入れている。
2012年9月3日、人民日報(海外版)は、中国国家海洋局がスカボロー礁黄岩島)、西沙諸島尖閣諸島の周辺海域を人工衛星や航空機で遠隔監視する「海域動態監視観測管理システム」の範囲内に組み込んだと報じた。
2013年6月6日にフィリピン軍関係者が、中国がスカボロー礁に軍事施設を建設していることが衛星写真によって明らかになったと発言。少なくとも3隻の大型船舶がスカボロー礁に相次ぎ訪問しているほか、大量の中国漁船がセメント、鉄筋、石などの建材を運び込んでいるとのこと。
2013年9月3日、フィリピン国防省は、中国が約30個のコンクリートブロックを設置していることを発表。
2014年2月25日にスカボロー礁付近で中国監視船がフィリピン漁船に放水して駆逐したことで、フィリピンで中国に対する反発が高まる。
仲裁裁判所による裁定[編集]
2013年1月にフィリピンは、南シナ海を巡る中国の主張や活動についてオランダ・ハーグの常設仲裁裁判所国連海洋法条約に基づいて仲裁を申し立てを行った。2016年7月12日に常設仲裁裁判所は、スカボロー礁排他的経済水域および大陸棚を有さない、国連海洋法条約上の「人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩」であるとの裁定を下した。また中国が2012年以降、スカボロー礁におけるフィリピン漁民の伝統的な漁業権を侵害していると判断した。
仲裁裁定後の動向[編集]
2016年10月20日にフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領と中国の習近平国家主席が首脳会談で南シナ海問題を平和的に解決することを合意した後は、中国が2012年に実効支配して以降、フィリピンの漁船が近づくと中国公船による妨害がなされていた状態が解消し、礁周辺でフィリピン漁民が操業できたり、遭難したフィリピン漁民が中国海警局の艦船によって救助されたりしている。11月19日には、ドゥテルテ大統領が、アジア太平洋経済協力会議 (APEC) 首脳会議が開催されたペルーで習近平国家主席と会談した際に環礁内を双方の禁漁区とすることを提案している。

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Wikipedia : 集団的自衛権

集団的自衛権(しゅうだんてきじえいけん、英語: right of collective self-defense、フランス語: droit de légitime défense collective)とは、ある国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利である]。その本質は、直接に攻撃を受けている他国を援助し、これと共同で武力攻撃に対処するというところにある。

集団的自衛権は、1945年に署名・発効した国連憲章の第51条において初めて明文化された権利である。憲章第51条を以下に引用する。

この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
— 国連憲章第51条

上記のように国連憲章には「固有の権利」として規定されたが、個別的自衛権(自国を防衛する権利)は同憲章成立以前から国際法上承認された国家の権利であったのに対し、集団的自衛権については同憲章成立以前にこれが国際法上承認されていたとする事例・学説は存在しない。

1944年にダンバートンオークス会議において採択され、後に国連憲章の基となったダンバートンオークス提案には、個別的または集団的自衛に関する規定は存在しなかった。しかし、後に国連憲章第8章に定められた“地域的機関”(欧州連合アフリカ連合などの地域共同体のこと)による強制行動には、安全保障理事会による事前の許可が必要とされることとなり、常任理事国の拒否権制度が導入されたことから常任理事国の拒否権発動によって地域的機関が必要な強制行動を採れなくなる事態が予想された[4]。このような理由から、サンフランシスコ会議におけるラテンアメリカ諸国の主張によって、安全保障理事会の許可がなくても共同防衛を行う法的根拠を確保するために集団的自衛権国連憲章に明記されるに至った。
冷戦期には、集団的自衛権に基づいて北大西洋条約機構(NATO)やワルシャワ条約機構(WTO)といった国際機関が設立され、集団的自衛を実践するための共同防衛体制が構築された。しかし冷戦が終結すると、ワルシャワ条約機構は解体されるなど、このような集団的自衛権に基づく共同防衛体制の必要性は低下していった。

集団的自衛権の行使に当たるとされる事例
過去に集団的自衛権の行使が国連憲章第51条に従って安保理に報告された主な事例に以下のものがあるが[23]、これらが外部からの武力攻撃の発生の有無や、被攻撃国による援助要請の正当性といった集団的自衛権の要件を満たしていたのか、内戦に第三国が介入したものではなかったかという点については議論があり、その濫用が疑われる事例が少なくない。
ハンガリー動乱 - 1956年10月にハンガリーで発生した大規模反政府デモに対し、ソ連が「ハンガリー政府の要請に基づき、(集団的自衛権に基づく加盟国間の相互軍事援助を主な目的とする)ワルシャワ条約に従って」民衆の蜂起を鎮圧した事例。ただし要請が正当な政府からなされたものかについては疑問視されている。
チェコスロバキア動乱 - 1968年にチェコスロバキアで起こった自由化運動の影響拡大を恐れたソ連および東欧諸国によるワルシャワ条約機構軍が、8月に改革運動を鎮圧した事例。ソ連は軍事介入はチェコスロバキア政府の要請によるものと安保理で説明したが、チェコスロバキア政府はこれを否定した。
ベトナム戦争 - 1964年のトンキン湾事件を契機に、米国議会は国連憲章及び東南アジア集団防衛条約に基づく義務に従い、兵力の使用を含む必要なあらゆる手段をとる旨決議し (Gulf of Tonkin Resolution) 、ベトナムへの北爆と地上部隊派遣を開始してベトナム戦争へ本格的に介入した。だがベトナム戦争が内戦ではなく国際戦争であったのかなど、本件が集団的自衛権の行使要件を満たしていたかについては議論がある。
コントラ戦争 - 1981年、米国がニカラグアの反政府勢力コントラを支援し、その根拠をニカラグアによるエルサルバドルホンジュラスコスタリカへの武力攻撃に対する集団的自衛権の行使であると主張した事例、ただし、国際司法裁判所はアメリカの集団的自衛権行使の主張を認めなかった。(詳細「ニカラグア事件」)。
アフガニスタン紛争 -2001年の9・11テロを受けてのタリバン政権下のアフガニスタンに対する米軍の攻撃とそれに伴う北大西洋条約機構 (NATO) 加盟のヨーロッパ諸国のとった軍事行動。安保理決議第1368号および1371号の前文において個別的又は集団的自衛の固有の権利が確認(recognize)された。
権利の濫用[編集]
冷戦期に、特にアメリカ合衆国ソビエト連邦はその勢力内での反体制活動を抑えるため武力行動を行い、その法的根拠として集団的自衛権を主張した。しかしこれらの武力行動は外部からの武力攻撃が発生していない状態で行われたものであり、これらの武力行動を集団的自衛権として正当化することは困難である。

 

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Wikipedia : 日本の集団的自衛権

ここでは、日本の集団的自衛権(にほんのしゅうだんてきじえいけん)について述べる。
目次
1 概要
2 従来の政府見解
2.1 集団的自衛権根拠の特定秘密保護法による秘密指定
2.2 憲法9条と集団的自衛権
2.3 自衛権の必要最小限度の範囲と質的・量的概念
3 日本国外との関係
3.1 日米安全保障条約の審議
4 集団的自衛権反対運動
4.1 安全保障関連法案に反対する団体の一例
4.2 安全保障関連法案の反対運動の経緯
5 脚注・出典
6 関連項目


概要[編集]
国際連合憲章の第51条に記載された権利であり、国際連合加盟国において認められた権利である。
日本では日本国憲法第9条により行使できないとの政府(内閣)解釈がなされてきたが、2014年7月1日、第2次安倍内閣において、集団的自衛権を限定的に行使することができるという、憲法解釈を変更する閣議決定がなされた。変更の必要性は、日本を取り巻く安全保障環境が変化したという事実認識から説明される。
閣議決定によると、日本における集団的自衛権の行使の要件として、日本に対する武力攻撃、又は日本と密接な関係にある国に対して武力攻撃がなされ、かつ、それによって「日本国民」に明白な危険があり、集団的自衛権行使以外に方法がなく、必要最小限度の実力行使に留まる必要があるとしている。これを自衛の措置としての武力の行使の「新三要件」という。また、あくまで集団的自衛権の趣旨は日本国民を守るものであるため、密接な関係にあったとしても、他国民の保護のための行使はできない。また、専守防衛は堅持していくとし、先制攻撃は許されていない。海外派兵についても許されていない[要出典]。
さしあたり解釈変更の動機として、安倍晋三内閣総理大臣は「紛争中の外国から避難する邦人を乗せた米輸送艦自衛隊が守れるようにする」としている。また、内閣官房長官菅義偉は「新三要件を満たせば、中東ペルシア湾のホルムズ海峡で機雷除去が可能だ」としており、「原油を輸送する重要な航路に機雷がまかれれば、国民生活にとって死活的な問題になる」としている。さらに2014年7月14日の国会答弁において、「世界的な石油の供給不足が生じて国民生活に死活的な影響が生じ、わが国の存立が脅かされる事態は生じ得る」と語っている。
しかしながら内閣官房の概要によれば、「石油なしで国民生活は成り立たないが、代替エネルギー利用を進め、外交や国際協調に全力を尽くしており、憲法上許されるのは、国民の命と平和な暮らしを守るための自衛措置のみであるから、石油のために集団的自衛権の行使を行う事はできない」としている。[要出典]。一方で、新エネルギーは石油エネルギーに代替するまでの影響力を行使することが現時点で困難であるため、本質的なリスク回避となるまでには至らないという認識が一般的であるため、国民生活の基盤を確保する目的においては、やはりホルムズ海峡などの重要拠点を堅守する体制が重要であるという議論も根強い。
現実問題として海上自衛隊は、機雷除去については、集団的自衛権があるか否かに関わらず、停戦後であれば、「警察権の行使」として危険物を除去していると解釈することで行う事ができるとしている[要出典]。一方で掃海はダイバーが行う困難な作業で、海上自衛隊が持つ特殊な技術であり、過去に掃海部隊が派遣されて任務にあたっているため、「停戦前は危険」という議論は的外れであるという指摘もある[8]。 自衛権発動の新3要件にある「他国に対する武力攻撃」について、武力攻撃事態法が定める「武力攻撃予測事態」も含むのかという質問に対して、安倍晋三首相は「まず武力攻撃がなければ駄目だ。予測事態は入らない」と述べ、実際の武力攻撃が発生しなければ集団的自衛権は行使できないとの認識を示した。
集団的自衛権を行使するために必要な法案(防衛省設置法・自衛隊法・武力攻撃事態法・国民保護法・周辺事態法・PKO協力法・海賊対処法・船舶検査活動法・米軍行動円滑化法国家安全保障会議(NSC)創設関連法)は、2015年1月召集の通常国会に提出されるものとみられる[要検証 – ノート]。豊下楢彦・前関西学院大学教授は、「集団的自衛権を行使するということは、軍隊として戦争することに他ならない。」とした上で、集団的自衛権を行使するめには、日本国憲法の改正と自衛隊の正式軍隊化、「開戦規定」や「交戦規定」を整え、「軍法会議」を設置することが必要であると述べている。
集団的自衛権は、2014年の新語・流行語大賞年間大賞に選出された。
集団的自衛権の行使を容認した閣議決定の無効を求める裁判が起こされたが、2015年7月29日、最高裁判所は訴えを却下した。
行使を容認する政府解釈は、内閣法制局で1日しか審議されずに通過した。
木村草太は日本を攻撃するA国へ弾薬提供や給油支援するB国は武力行使と一体化しているので従来は、個別的自衛権自衛隊は反撃できたが、自衛隊の任務に集団的自衛権容認する安保法制で自衛隊が米国等へ弾薬提供や給油支援が後方支援で武力行使と一体でないとしたために、弾薬提供や給油支援するB国を自衛隊は反撃できない主旨を参議院の審議で中谷元防衛大臣は答弁したと言っている[15]。 長谷部恭男は日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増しているのなら、(少子高齢化で人口と税収の)限られた防衛予算を世界中に展開して、米軍の手伝いをするのは愚の骨頂と言っている[16]。
従来の政府見解[編集]
従来より必要最小限度の範囲の自衛権の措置は認めていたが、1981年の閣議決定において、集団的自衛権の行使は認められないとしており、2014年7月7日15時まで防衛省のホームページ上には、集団的自衛権は認められないと掲載されていた。また、自衛権の行使についても、「わが国に対する急迫不正の侵害があること」という要件が表記されていた。
集団的自衛権は、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する国際法上の権利」と定義している。
集団的自衛権根拠の特定秘密保護法による秘密指定[編集]
2014年10月6日、衆議院予算委員会において、安倍晋三首相は、集団的自衛権に関し、行使の条件となる武力行使の新三要件該当の是非の判断材料となる情報が、特定秘密保護法に基づく特定秘密に指定され、政府の監視機関に提供されない可能性があるとの考えを示した。内閣府に設置予定の特定秘密の監視機関「独立公文書管理監」に対して「十分な検証に必要な権限を付与することを検討している」と述べたが、各行政機関の長が管理監に、特定秘密に指定されていることを理由に情報提供を拒むことも可能と説明した。その場合「管理監に理由を説明しなければならないことを運用基準に明記することを検討している。管理監に提供されない場合は極めて限られる」と述べた[20]。
憲法9条と集団的自衛権[編集]
従前政府は、憲法9条の下では、自国が武力攻撃を受けていない状況下でわが国が同盟国等のために武力行使をすることは許されない、としていた。
防衛白書13年版までは集団的自衛権憲法9条で許容される範囲を超えるものであり許されないとしていたが、14年版では憲法上許容できるとされた。
自衛権の必要最小限度の範囲と質的・量的概念[編集]
政府は、昭和47年10月14日第66回参議院決算委員会政府提出資料において「(自衛の)措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである」としていることを述べたことを踏まえて、これ以後、集団的自衛権の行使を違憲とする理由を、自衛のための必要最小限度の範囲を超えること、すなわち「我が国に対する武力攻撃が発生したことを満たしていない」と言う点で、自衛のための必要最小限度を超えることとしていた。 「わが国に対する武力攻撃の発生は、必ずしもわが国での被害の発生を意味するものではないが、武力攻撃のおそれや蓋然性では足りない。集団的自衛権であっても個別的自衛権の行使と同一視出来るようなものの行使は容認されるのではないか、とする質問に対して、政府は、設問の状況が「わが国に対する組織的・計画的な武力の行使」が認められるものであれば、個別的自衛権の発動によって対処が可能であり、それ以外の場合の実力の行使は、許されないとして、集団的自衛権の部分的な容認という考え方を否定している。
日本国外との関係[編集]
国連憲章において、集団的自衛権が個別的自衛権と並んで、国家に固有の権利とされたことを踏まえ、サンフランシスコ平和条約やMSA協定につづいて、日米安全保障条約の前文においても、日本が「集団的自衛の固有の権利」を有することを確認する旨が明記されている[36]。
江渡聡徳防衛大臣は、2014年9月8日中日新聞のインタビューにおいて、武力で他国を守る集団的自衛権を行使して、自衛隊が停戦前の機雷掃海を行っている途中で、国際連合安全保障理事会の決議に基づき国連主導で侵略国などを制裁する集団安全保障に切り替わっても活動を継続すると述べた。停戦前の機雷掃海は、機雷を敷設した国の防御力を低下させるため国際法上は武力行使と認められる[37]。
日米安全保障条約の審議[編集]
集団的自衛権に関する本格的な議論が初めて国会に登場するのは、日米安全保障条約の審議の際である。しかし、当時は、集団的自衛権の概念自体が必ずしも一義的でなかった。集団的自衛権は、新しい概念であったことから、これを行使する国の権利・利益に対する危険の存在を要件とするか、その発動に特別の条約関係を必要とするか等々学会でも様々な議論があり、日米安全保障条約の改定をめぐる国会論戦が繰り広げられた昭和30年代半ばの時点では、基地提供など、武力行使以外の交戦当事国への便宜提供や経済的援助をも含む概念かどうか、いわばその外延に関しても必ずしも定説が得られない状況であった。
日本政府は昭和40年代の後半以降は、明確に、集団的自衛権を、もっぱら実力の行使に係る概念であり、基地提供のような便益の供与まで含むものでないことや自国の安全に対する脅威をその発動要件としないことと定義している。

集団的自衛権反対運動[編集]

反対デモ(国会前)
安全保障関連法案に反対する団体の一例[編集]
戦争をさせない1000人委員会
自由と民主主義のための学生緊急行動 (SEALDs)
九条の会
立憲フォーラム
安全保障関連法案に反対する学者の会
安保法制に反対するママの会
戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
立憲デモクラシーの会
T-nsSOWL
など
安全保障関連法案の反対運動の経緯[編集]
9月15日 参議院平和安全法制特別委員会は中央公聴会を開いた。SEALDs の奥田愛基、元最高裁判事の浜田邦夫、小林節慶應義塾大学名誉教授(憲法学)、松井芳郎・名古屋大学名誉教授(国際法)は違憲だとの認識を示した。